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第10話 甜菜栽培における防除の歴史
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第10話 「甜菜栽培における防除の歴史」
北海道におけるてん菜栽培の歴史はまさに病虫害との闘いでした。
ヨーロッパのてん菜主産地である、ドイツ、フランスの栽培期間の気象条件は春耕期から収穫期まで北海道に比べて温暖で雨量が少ないため、病虫害は少なく、てん菜栽培にとって好適な条件の中で栽培されています。一方、北海道は5月始めにようやく春耕期を迎え、7,8月の30℃を超える暑さで湿度が高く病虫害の発生が好適条件のために被害を受け易い条件で栽培されています。
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北海道で1871年に始まったてん菜の試作を受けて1880年に始めて現在の伊達市に官営の製糖工場が設立され、その後民営化されましたが経営が悪化して1901年に操業の停止に追い込まれました。この操業中止の原因は栽培技術の未熟さのほかに病害虫防除の欠如でした。
当時の品種はフランスとドイツから輸入されたもので、今と同じ褐斑病に弱かったこと、ヨトウガの発生があっても的確な薬剤が無かったことから、収穫期にはほとんど葉が枯れて無残な状況になりました。 |
1914年に第一次世界大戦が起こり、世界の砂糖の供給不足で糖価は暴騰しててん菜栽培の気運が高まりました。1920年に十勝に製糖工場ができ、栽培面積に変動があるものの第二次世界大戦の終了までに最高1万9千haが栽培されました。
この間農薬では1923年に褐斑病防除に石灰ボルドーが、ヨトウガには砒酸鉛の使用が始まり、それぞれ銅剤およびスイス・ガイギー社(現シンジェンタ社)の開発したDDTなどに代わるまで使用されました。しかし、銅剤の褐斑病に対する効果は十分でなく、アメリカで育成された品種に由来する「導入2号」が褐斑病に抵抗性が高かったことから全道に作付けが広まり、ピーク時の作付け率は33%(1958年)に達しました。

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「導入2号」は褐斑病に強いのですが、成熟期が遅く、褐斑病の発生が少ない時にはヨーロッパで育成された品種に収量が劣り、糖業関係者は褐斑病の防除薬剤を渇望していました。1950年代に錫剤の開発で褐斑病防除に目処が立ち、1964年以降ドイツ、オランダ、スウェーデン(現シンジェンタ社)で育成された多収性などで特徴のある品種が北海道で採用され、一般農家での栽培が広まり、紙筒移植の普及とともにてん菜の多収化の道筋ができて世界のトップレベルの収量を達成しました。 |
1968年にはチオファネートメチル剤が開発されて治療効果もみとめられ、急速に使用が広まりましたが、すぐに耐性菌問題が出て数年足らずであっけなく使用は中止されました。
その後も硫黄剤、カルボキシアミド系、抗生物質などが薬剤として開発されてきましたが、効果面、持続性などで十分満足の行くものではなく、プランダム(シンジェンタ社)などのEBI剤の開発で予防および治療面での効果が高まり、褐斑病防除の基幹薬剤として広く使用されるに至っています。
病害では褐斑病以外ではリゾクトニア菌による根腐病、アファノミセス菌に起因する黒根病が問題になりますが根腐病はアミスター20フロアブル(シンジェンタ社)など有効な薬剤の使用で病害の発生が抑えられています。黒根病は近年土壌中の石灰含量の不足などで発生が多くなっていますが有効な薬剤が無く、てん菜の生産に影響を与えています。
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褐斑病は西ヨーロッパではドイツ南部、フランス、イタリア北部、ギリシャ、スペインなど被害が認められ、イギリスでは被害がありません。シンジェンタも含めてヨーロッパのてん菜育種会社では褐斑病耐病性品種の育成が行われて、北海道でも適応性について試験が行なわれています。 |
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シンジェンタ ジャパン株式会社 開発本部 技術顧問  野村
信史 2002年6月10日掲載 |
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→→第11話「アブラムシ防除と抵抗性対策」
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